どんなコトでも、自分の体質に合っているものと、なぜか肌に合わないものがある。ぼくにとって、俳句はずっと肌が合わなかった。それでも恩のある人の勧めだったので、辛抱してヘタな句を作り、毎月の句会に出ていた。宗匠は吉田鴻司先生という俳句名人。その吉田先生があるとき、「のぞむさんはエライなあ、10年やっても上手くならないのに、それでも続いているよ」
句会では3句ずつ持ち寄り、その中から良い句を5句程度、仲間同士で選ぶ。また先生が10句程度選んでくださる。特選、秀逸、佳作といったランクもつく。で、自分の句が特選に選ばれた、佳作が2つあったぞ、などと喜び合う。ところが何ヶ月も、ぼくの句が誰からも選ばれない、ということが何度もあった。吉田先生の話では、3ヶ月選ばれないと、たいていの人は辞めていってしまうという。「のぞむさんはエライ!」となったのはそんなわけで、こんな褒められ方もあるとはねえ。
ところである年の初め、内房の保田駅で、水仙の花を見た。それまで水仙の花は見ていたが、水仙だとは知らなかった。駅に水仙祭りとあったので、水仙を水仙だと認識したのだった。そのときぼくは、匂いを嗅ぎ、球根がついた花を買い、家の鉢に植えた。そして歳時記で水仙の句を探した。以来、水仙はぼくのものになった。
だからと言って、良い句ができるようになったわけではない。しかし花の名前がわからないと、俳句を詠むことができない。ぼくはともかくも、ひとつの花を知ることができた。
南房総では、水仙よりも先に菜の花が咲き始め、菜の花は長く咲くので水仙の時期と重なる。梅の花も重なる。水仙を知ると、菜の花がわかり、梅を見直し、季節の巡りを感じるようになった。土地の生活の流れや道具のことも少しずつ。
さるすべりの花も知った。百日紅と書くわけもわかった。あれはYさんの家の百日紅、これは材木屋の前のお寺の百日紅と思って見るようになった。お寺の百日紅の咲き方が、近くの和菓子屋の女将さんと重なったりした。
花の名前を知ることは、世界を理解する入り口なんだ。花木のそれぞれには、人間のような名前はついていないけれど、それぞれに屋号をつけて呼んでやれば、一層世界の理解は深くなる。花だけではない、モノの名前を知れば世界が開けるということだ。遅れてきた人間は、かく大仰にオドロくのであった。
2021/5/19 NozomN
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