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51 効果の追求

効率と言う異端の弟子

 効率と効果は、連語または対句のように用いられる。しかし実際には、効果が師匠で、効率は弟子である。弟子とは言っても、困った弟子である。過剰に働けば組織に悪弊をもたらたし、これを破滅させてしまうから、高弟ではあるが、異端の弟子なのである。カチョーはそのことに思いをいたしつつ、効率の追及はほどほどにして、効果の追求という大海で勝負しなければならない。

効率の賞味期限

 効果とは、あるやり方が目的にピタリと叶った結果の全般である。生産性を高めたいと考えて愚痴を言うブカの口を封じて、愚痴を言う時間を仕事に当てさせれば、効率が上がる。しかし、ブカの愚痴は蓄積され、濃縮されるから、これは膨らみ過ぎた風船のように危険な生産性である。賞味期限が短く、不安定なのである。

もうひとりの高弟

 これに対してブカの愚痴をゆっくりと聞き、肯いたり、慰めたり、叱ったりしていると、ブカの愚痴は次第に少なくなる上に、カチョーの要望もすんなりと受け容れやすくなる。ずいぶん遠回りで時間がかかるようであるが、ピタリと目的に叶ったその状態は長持ちする。ではこれは、効果の高弟の何某であったのか。

その名は遊び

 高弟の名は遊びである。2点を結ぶ最短をいくのではなく、道草を食いながら2点を行き来するのである。道の草を食ったら栄養バランスが良くなるとか、そういうことではない。道草を食うと、楽しくなるのである。厳(いかめ)しさとの接触がなくなるのである。いつの間にか、歩いて到達するのである。したがってまた、行き来したくなるのである。遊びが進化するように、道草も進化して、所々に効率さえ生み出すのである。長い目で見ると、効率を求めるよりも効率が上がり、しかも効率を求めては得られなかったもののすべてを、手に入れることが出来るのである。

双葉山

 69連勝を逃した双葉山は、師と仰ぐ安岡正篤に「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」と打電した。しかし子供の頃吹き矢に中って失明同然になった右目は、入門してからさらに悪化し、やがてはほとんど見えなくなった。双葉山は「かえって都合が良い」などと言って、この状態を遊んだ。引退したら年寄り名跡を継ぎ、相撲部屋を興すのが通り相場なのに、現役時代から相撲道場を作って、ヒンシュクを浴びながら、遊んだ。一般人を女房にして、遊んだ。双葉山はいつも回り道をして遊んでいたので、厳(いかめ)しい相撲協会から疎んぜられた。しかし彼は69連勝し、36連勝をして、相撲の神様となった。