朝寝坊の子供を、早起きさせるコツはないだろうか。ある。叱ることである。叱って起きなければ、ムチで叩くことである。ムチで起きなければ、冷水をかけることである。あるいは、家族で打ちそろって、お前はだらしがないヤツだとあざ笑う方法もあるだろう。毎朝の食卓で、家長が榊(さかき)を振るい、人間は早起きすべしと十回唱える習慣を持つことが、有効かも知れない。これがつけ込む支配の方法である。
つけ込む支配とは、相手を弱体化させた上で、自らの影響下におく方法である。殴打、痛罵、侮辱、無視、刷り込みなど、精神や身体に痛みを与えて恐怖を引き出し、相手の性根を弱体化させるのが特徴だ。人間の、認められたいという欲求に一顧だにせぬことで、諦観を引き出し、相手の性根を無力化させるというやり方もある。このように、相手の性根を弱体化することで自らを強者にし、自らを強者にすることでさらに相手を弱体化し、そのサイクルの中で、相手を思い通りに動かすのが、つけ込む支配の方法なのである。
つけ込む支配の方法は、規律を価値とする組織に有効である。軍隊や運動部において、殴打、痛罵、侮辱、無視、刷り込み、否認、非認などが合理化されるのは、規律という支配性が組織価値を高めるからである。また宗教団体や独裁国家、教義国家においては、異端や、異分子や、異邦人を、非難したり憎悪したりすることで規律による支配性を高め、組織価値を高めることができる。
企業においても、つけ込む支配によって組織価値を高めてきた歴史と有効性は無視できない。列強による植民地主義や、米国によるアフリカン・アメリカンの奴隷化や、封建制度が、企業組織につけ込む支配という方法を植え付けたのかも知れない。しかし、そうしたものが一掃された社会においても、つけ込む支配を組織価値とする企業は存続する。つけ込む支配の、有効性の強さの証左だろう。
相手の性根を無力化することで、相手への影響力を確保するつけ込む支配の方法は、人類が長い歴史の中で実証し、実感し、さまざまな用途開発を促し、都市にも辺境にも、あまねく浸透した知恵である。それにしても、つけ込む支配という方法が、近代組織に今も生き続ける理由は何だろうか。ひとつには、相手に影響を与える代替方法が、脆弱だとみられているからではないか。