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50 効率の追求

時代の子

 1936年から39年にかけて、69連勝を果たした双葉山は、木鶏たらんとしていた。木鶏(もっけい)とは、「荘子」に登場する木彫りの鶏のように、微動もしない闘鶏である。1942年から44年にかけて、双葉山はさらに36連勝を記録した。木鶏は、相撲の神様として国民の英雄となった。日本は1941年から45年にかけて、第二次世界大戦に参戦し敗戦した。双葉山の36連勝はこの4年間にすっぽりと収まっていた。同じ戦時中に生まれた時代の子が、日本能率協会という不思議な団体であった。

大東亜戦争

 第二次世界大戦は1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻から始まった。その後、枢軸国対連合国、という世界規模の戦争に発展した。枢軸国は13、連合国は19カ国もあったから、局地戦、内戦(フランスは両陣営に分かれた)、連合戦が入り乱れた。ところで、日本がからんだ戦争を、日本政府は大東亜戦争と閣議決定した。「今次の対米英戦争及今後情勢の推移に伴い生起することあるべき戦争は支那事変をも含め、大東亜戦争と呼称す」と、厳(いかめ)しく記録されている。戦争をしかける人の言動は厳しくなるものである。

太平洋戦争

 ちなみに連合国側は、大東亜戦争を太平洋戦争、と呼んだ。第二次世界大戦の中の局地戦と捉えたのだ。日本海軍も、軍内部では、太平洋戦争を使用したと言われる。まあ、オトナの見方であった。これに対して、陸軍案の大東亜戦争というタイトルを採用した政府は、「大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味にあらず」とますます厳しく宣言するのであった。

和魂洋才

 能率が、大東亜戦争派であったのか太平洋戦争派であったかは判然しない。この戦争の戦略、周辺技術、武器は、西洋からの伝来モノである。一方、戦争の発心は、陸軍的大和魂から表出した。ということで、時代の子の能率も、和魂洋才の名の下で産声を上げたのであった。西洋くさい言葉なのに厳(いかめ)しい匂いがするのは、そのためだろう。

平川祐弘

 ちなみに、和魂洋才の前には和魂漢才があり、和魂洋才の後には和魂米才がある、との見方もある。単なる混血文化ではない、民族の魂を失わない混血である。そう誇り高く叫んだ日本混血文化の系譜については、平川祐弘著『和魂洋才の系譜』(河出書房新社)が良い教科書になるだろう。図書館で読むとよい。

この効率の二文字が目に入らぬか!

 このような事情から、能率の二つ名を持つ効率には、二つの特質が備わった。一は、スマートに利益をもたらす実際的な保証である。二は、水戸黄門の印籠の如き、ご託宣の如き、天の声の如き、厳(おごそ)かな厳(いかめ)しさである。能率や効率を口にしさえすれば、理屈なしにブカは恐れ入り、しかも実際に利益を上げることができるとあって、効率はカチョーのマネジメントのお供となったのである。

効率の実相

 では、効率とは何の率であるか。仕事量に投入するエネルギーの比である。あるいは、仕事量に投入する労力の比である。ただしこの比率は、一定時間に測定されて始めて意味を持つ。したがって効率的とは、少ない労力で大きな仕事をこなすことである。したがってマネジメントにおける効率の実践とは、現在の労力に諸能力、やる気、根性を注射して筋力をつけ、作業プロセスのムダを廃し、評価を高め、報酬を低くすることである。

効率の運命

 効率の追求は、領土拡大の覇権主義の如く、ネズミ講あるいはマルチ商法の如く、はたまた人の一生の如く、最初は勢いが良いけれども次第に衰弱し、最後はパタリと死に至る運動である。すなわち効率とは、量が少ないうちは善玉コレステロールとして組織内で役に立つが、量が増えるとたちまち悪玉コレステロールに変わって組織を衰弱させるのである。悪玉が増える兆候は、効率を叫ぶシャチョー、ブチョー、カチョーの言動が厳しくなったときである。