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49 人脈

 脈とは、細長く続いている同質のもの同志が、それぞれ連絡しあっているものである。つまりは、山脈や鉱脈がそれである。また脈は、肉月が使われているから、身体に関する言葉でもあるとわかる。すなわち血管のことで、この血管がかすかにでも働いている状態であれば、「脈がある」と言って望みはあるのである。

人脈がある場所

 人脈とは、このような意味合いを援用して、人のつながりを表した語である。血縁、地縁、学縁などは、細く続いたり同質が連絡したりしていることで出来上がったつながりだ。普段は表立つことはないが、重大課題が出来(しゅったい)した折などに、緊急回路としての役割を果たす。なぜそのような役割を果たしてくれるのか。我々は人のつながりが分かち難く結合した共同社会に生きるからである。すなわちドイツの社会学者テンニェスが類型したゲマインシャフト(血縁、地縁、友情社会)に生きるからである。

人脈がない場所

 ゲマインシャフトに対する社会的関係を、テンニェスはゲゼルシャフトとした。実用主義的合理主義、人為的で機械的で、お互いに相手を手段とする、打算的な関係を特色とする社会のことだ。ここには人と人との原初のつながりのように、切っても切れない関係はない。利が一致しなければ、直ぐに切れる関係ばかりである。すなわちここには、本来の意味の人脈が存在する余地はないのである。

人脈幻想を断つ

 と順序よく考えてくれば、「人脈を作れ」などという指南が、いかにお門違いであるかに気づくだろう。人脈は作るものではなく、すでにそこに在るものなのである。したがって名刺を1000枚集めて裏面に微細な情報を書き綴ったとて、それが人脈の鉱床になるはずもない。いつでも連絡依頼できる関係を作ったとしても、それは単にそのような関係であって人脈ではないのである。ビジネスにおいて、人脈を作る、などという言説にたぶらかされてはならない。またブカをたぶらかしてもならない。

夢の出来ちゃった人脈

 そんなわけで、名刺集めに奔走することを慎み、そんなものにあれこれ手を加えて錬金術に勤しむことを止めてみれば、人脈幻想が瞬く間に霧消する気持ちよさに浸れるはずだ。名の知れた人や、相当の人物と知り合っていることをネタに、誰かとつながろうというさもしさからも解放されて、晴々である。利を得る関係ならば、その関係であると割り切った方が清々しいのである。とそうこうしているうちに、なぜか切っても切れぬ、割いても割かれぬ相手に出会うことがある。これが出来ちゃった人脈である。このような関係はすでにそこに在ったものではないが、そうなる定めであったような気がするはずだ。僥倖を感ぜずにはおれないようであれば、出来ちゃった人脈の質を有していると思って間違いない。名刺を捨てて得る僥倖の大きさを知るべきである。