なぜ若いモンは概して人間関係に弱いのか。それは近ごろの若いモンだからである。なぜ近ごろの若いモンは概して人間関係に弱いのか。人と人とが織りなすパターン認識と、そのパターンに対処するトレーニング機会の不足が祟っているからだ。
人間関係とは、文字の通り人と人との間(ま)の関係である。こんな言い方をするとコッパズカシイのだが、しかし、詰まり、兎に角、人は、相手が生徒なら自分はセンセ、相手がセンセなら自分は生徒といったように、ある時は先輩、あるときはお客さま、あるときは洟垂れと、立場が千変万化するのである。それにつられて相手の立場も千変万化するのである。しかしある一時の相手と自分との関係は、親と子、上司と部下、師と弟子といった具合に、ひとつだけしかない。ここを混乱させぬことだ。
混乱の原因は到る処にある。親とは言っても子の顔色ばかりを窺い、上司とは言っても決断が苦手で飲めばダラしないオヤジで、師とは言ってもその言は十年一日の如くで新機軸は何もない、などが見え透いたとき、親と子、上司と部下、師と弟子という関係はグラリとくるのである。しかし此処を切所と踏ん張らねばならぬ。ブカに、カチョーであるアンタを敬愛させるのである。ン、どうやって?
そもそも講釈が余計モノだから「蛇足3」としてもイイぐらいだが、評論家よろしく言ってみれば、近ごろの若いモンの人間関係弱さは、親から来ているね。親が自分を生んだことはわかる。親が自分を養っていることはわかる。親が幾ばくかの決定権をもっていることはわかる。しかし親ってなんなんだ? 先生のようなものか。上司のようなものか。では先生とは? 解がないから考える甲斐もなくなってくるのである。ン、で、どうする?