なるほどなるほど、目標設定の極意は、目標を目に見えるようにすることか。そう合点するのは早計である。すぐに駆け出す前に、垂直跳びの教えに耳を傾け、目を凝らすとよい。まずは目に見える標(しるし)である。チョークの跡は目に見える。手を伸ばし、チョークの跡までの距離を目測できる。それで気持と身体を、ストレートに反応させることができる。目に見える標(しるし)とはそういうものなのだ。では、売上げ目標1億円、はどうか。確かにそう書いたものを目に見ることはできる。しかしそれは目標(めじるし)ではない。垂直跳びの目標を2メートル10センチと紙に書いても、目標(めじるし)にならぬことと同様である。売上げ目標1億円では、気持も身体も動かないのだ。
だからカチョーのシゴトとは、君の売上げ目標は1億円だ、とブカに告げることではない。そんなことは一片の紙に任せておけばよい。売上げ目標の1億円を、ブカが目標(めじるし)としてキャッチしやすいように編集加工することが、カチョーのシゴトなのである。1年間の目標では長すぎて手が届くものかどうかブカには見当がつかぬだろうと見てとれば、前、中、後期に3分割したり、ひと月単位の目標に切り分けたりする。それでも足りなければ、週単位にしたっていい。
あ、なるほどね。目標が目の前に見えるように、短期間の目標に直せばいいのね。それも早合点である。もう一度静かに、垂直跳びの教えに思いを致すことだ。子どもたちは最初、垂直跳びをしただけである。どれほど跳べるかはわからなかったのだ。50センチ跳んで、2メートル10センチに標(しるし)をつける、などという目標はなかったのである。目標ができたのは2回目からではなかったか。だからカチョーのシゴトは、12分割、30分割した目標をブカに告げることではない。そんなことはそこらの電卓に任せて構わない。それよりも1、2週は目標などを脇に置き、ブカの売上行動と結果を観察することが大事だ。その行動に何をプラスすれば、次の週にはどれほど売上を伸ばすことができるかを推し量るのである。現状を知り、そこからスタートする。目標(めじるし)は、今立っている現状を元にしなければ意味がないのである。
了解。もうわかった。こういうことだな。まず1週目から30週目の目盛りをヨコ軸にとる。タテ軸は週間目標売上高をゼロとして、毎週の売上目標を作る。最初の週を-aとして最後の週を+aにしたらどうだ。-aの値と+aの値を線で結べば、毎週少しずつ売上を伸ばして、最終的には年間の目標に届くように設定できるぞ。しかも、等差級数だからな、目標を追うのにムリがない。これでバッチリね。科学的目標管理だし。――そう思うのも早合点である。しかもいささか浅知恵の深みにはまって哀れである。これは科学的目標管理ではなく電卓的目標管理である。三たび、垂直跳びの教えの隣で、沈思黙考してもらいたい。
垂直跳びの目標(めじるし)を越えようとする子どもは、無意識のうちに足裏のバネ、膝の屈伸、腰の伸縮その他から、ムダを省き、足らざるを加えることをしている。しかしそれら部分の改善が奏功しないどころか、噛み合わせの悪さから、かえって跳べなくなることさえあることを知る。てなことを繰り返しつつ、子どもたちはあるとき忽然と跳びのコツを得るのである。
翻ってシゴトに使う知恵知識、行動要領、気力意識の伸張は、足裏、膝、腰のそれの数千倍の質量である。だからと言って、賢いカチョーは目標数値を徐々に上げるよりも、一定目標をクリアする回数に期待する。それがベースアップ、ペースアップの条件だからだ。しかる後に、ブカの知恵知識、行動要領、気力意識の伸展に手を貸し、その噛み合わせの妙を体感させる。そしてブカが忽然と営業の何たるかを会得したときが、カチョーのシゴトの一段落である。ややっ、ブカの目標達成の件はどうなったかとのご下問ですか? 心配は要りません。カチョーのシゴトは、ブカに目標達成させることではないのですから。ブカが目標達成して、さらに闘志を燃やせる筋肉を作ることが、カチョーのシゴトなのですから。できれば四方八方他人の力まで借りて、わが筋肉を大延長させることができるブカを作り上げれば、カチョーの本懐なのですから。
しかし、垂直跳びの目標と、シゴトの目標とは相違がある。シゴトの目標は、出来ない者にとっては見果てぬ夢であり、恨みの門である。しかし出来る者にとっては路傍の標(しるし)に過ぎない。カチョーの目標は、ブカが目標を路傍の標(しるし)にしか過ぎぬと観じるレベルに引き上げることであり、又そのように成した己の成果を、路傍の花一輪程度に観じさせてやることである。