花のある道を花道と言う。お相撲さんが支度部屋から土俵に出るのが花道。むかし相撲の節(すまいのせち、7月に決まって行われた天覧相撲)で、力士が花をつけて入場したので花道と言った。歌舞伎では舞台につながる通路を作って、客が贔屓の役者に花を届けやすい造作にしたものが花道。花とは祝儀のことだから、集金の工夫が卓抜だ。序(つい)でに花道の出入りでは、役者が見得を切って盛り上げ、しかも留まる時間を長くして集金力を高めた。ハードとソフトの噛み合いとはこういうことだろう。
この言葉の発生は現代ではない。だから花道を男だけのものにしてしまっているが、その点を歴史の彼方のこととしてご容赦いただければ、この花道とは、人が最期に花々しく活躍する場面のことである。例示すれば、小倉の人力車夫・富島松五郎こと無法松が、太鼓を叩く場面である。これを平たく理解するには、YouTubeに村田英雄先生を訪ねるのが一番である。無法松の一生(度胸千両)の他に、王将、花と竜、男の土俵、姿三四郎、柔道一代、人生劇場、名月赤城山と、男の花道のことなら大概は歌っている。村田英雄先生を二、三曲も聴けば、男の花道とは、人に惜しまれて引退する辺りのことだと見当がついてくる。
斯(か)くの如き日本の土壌に移植されてきたのが、キャリアという言葉である。careerと書く。調べてみたら、同じだね。元々は競争路のことだったのね。その道に沿って人が進むので、「生涯」という意味が生まれたという。
このように人生、生涯、経歴の源流を東西にさかのぼれば、キャリアとは行跡のことだと解る。キャリアには出世、成功、職業の意味もあるが、これは現況ではなく過去からの足跡のことである。したがってキャリアは作るものではなく、高村光太郎が「ぼくの前に道はない、ぼくの後に道はできる」と謳ったように、歩いて出来た跡に過ぎないのである。
そこでキャリアを積むとか、開発するとか、張り切っている諸兄姉に申し上げる。できればそんな考えは捨てっちまいなさい。キャリアは辿(たど)るものだと心得なさい。何を辿るかと言えば、それぞれに一家を成した人の跡目を継ぐつもりで、その行跡を辿るのである。辿るべき行跡がなければ(だいたいは勉強不足、観察不足だと思うけれど)、将来に跳んで、自分の死に際や引退の舞台を調え、そこから段々と今に戻り、戻った跡をそのまま辿り直すようにしたらよいだろう。野球の素振り、ゴルフのワッグルの要領だ。だが、素振りが良くて本振りが乱れるのは何故かなあ。