愛には色々な意味があるが、マネジメントにおける愛とは、相手のためによかれと願う心である。つまりはお節介である。お節介だが、相手にそれと気づかせないお節介である。沢田研二はそこを歌って「LOVE(抱きしめたい)」なのである。人妻の相手を思ってさよならさよならするのである。相手に気づかせないようなLOVE(お節介)に欠けたマネジメントは、マネジメントの多様な意味のほとんどを失って、コントロール程度の意味に痩せてしまうのである。
マネジメントの目線を、ブカの現況に直交させてはならない。ブカの将来の着地点にまで補助線を延ばし、そこに目線を重ねるのである。こうしてブカの将来の着地点と、現況との距離が測量できる。この距離がブカへの期待の量である。期待に目盛りをつけ、昨日はここまできた、今日はここまでやろうと、細かく励ますことは大事である。だが、もっと語って聞かせたいのは、将来に着地して見えてくる風景の楽しさ、清々しさである。
ハッキリとした道のりを示せないのが今の会社である。飛び石ばかりが多く、どの石を選んで跳べばよいか定かではない。ブカは飛び石の上でたちすくんでいるのだ。こんなときには、どっちに跳んだってさほどの違いはないからさあ跳んでごらんと、チョイと乱暴に背中を押してやることである。跳ぶための比較検討から解き放ち、跳んだ先を奇貨(きか、得がたいチャンス)とする心を体得させるのである。郡上八幡の橋の上から川に跳んだ子は跳ぶことが愉快になるが、跳ばない子は跳ばなかったことについて思い暮れるだけである。ブカを思い暮れるばかりの、飛び石の住人にしてはならない。
これがなければ成り立たず、これを調えればすべてが満たされるという、いわばマネジメントの三原色が、愛、希望、勇気の三つである。マネジメントの行跡がこの三原色に彩られていなければ、それはマネジメントの行跡ではなく、ただの跡である。
ちなみに「愛・希望・勇気」の三語は拙筆が新任管理者になった半世紀足らず前、故・大沢武志さんから頂戴した言葉である。最後に産能大学大学院の客員教授を務めた大沢さんは、リクルートのテスト部長、人事部長、人事測定研究所の社長を歴任した。著書のひとつにドラッガーの邦訳名と同じ『経営者の条件』(岩波新書)がある。どちらも名著だ。