接待や饗応(きょうおう)や賄(まいない、ワイロ)が、カチョー生活を危うくするケースは希(まれ)である。このような幸福な誘惑で脱落するのは、早晩脱落することが約束されている人である。カチョーにとって最も危険な誘惑は逃避である。
接待饗応賄は、美味しいとか楽しいとかで得をする幸福な誘惑だが、逃避は腹もくちくならなければ舌も喜ばず、ウヒヒ的満足の欠片も得られぬ不幸な誘惑である。幸福な誘惑で道を踏み外しても、時が経てば大概の道は復元する。しかし不幸な誘惑は、ビジネス人生をシロアリの餌食になった家のようにボロボロにしてしまう。逃避は宿主であるカチョーの精神を食いつぶすことで増殖成長するからだ。
逃避は学習する。ある状況に接触した途端に自動回避するメカニズムが強化される。それはほとんど反射行動にまで高まる。精神はこの恥ずかしさに耐えきれず、逃避を主義(escapism)にまで高めて自尊を保つ。
目の前にある問題課題に取り組まずに避けて通る、或いは意識から排除して済まそうとするのが逃避である。カチョーにとっての日常茶飯と言えば、問題課題である。問題課題こそがカチョーのメシの種なのである。この問題課題の数だけ逃避の誘惑が押し寄せるので、逃避の一歩は蟻地獄への一歩となるのである。