まずはシップの理解が肝要である。-shipは名詞に接尾して抽象名詞を作り上げる。friendに-shipをつけてfriendshipとすれば、友人の意味が変じて、友人とはどのような状態であるかを説明する「友情、親睦、友好」の意味となる。professorをprofessorshipとすれば、教授の意味が変じて、教授である状態を示す「教授職」となる。leaderをleadershipとすれば指導者の意味が変じて、指導者である状態を指す「指導的地位」となり、加えて「指導力、指揮統率」の意味に広がる。
人生というコトバを辞書で調べれば、人間がこの世に生きている期間だと説明がある。だがこの説明で人生を理解することはできない。「人生は一箱のマッチである、重大に扱えば馬鹿馬鹿しい、しかし軽々しく扱えば危険だ」、芥川龍之介がこう洞察したとき、人生についての実相の一片が得られるのである。リーダーシップについても、辞書にその字義を尋(たず)ねるだけでは真の理解を得られない。リーダーの役割と在り方を凝視すれば、その実相はリーダーの地位における対人影響力であると見えてくる。
ではリーダーの対人影響力はどのような形で発揮されるのであるか。諸説が百花して迷走しそうだが、案外と一説に収まっているのが不思議だ。すなわち「人間的関心」と「業績的関心」の掛け合わせがリーダーシップだと言うのである。リーダーシップ論の家元顔をしている五家を尋ねれば、オハイオ州立大学では「組織化」と「配慮」、PM理論では「P機能」と「M機能」、ミシガン州立大学では「仕事中心」と「従業員中心」、グループダイナミックスでは「課題達成機能」と「集団維持機能」、マネジリアル・グリッドでは「業績への関心」と「人間への関心」といった具合で、二軸を取る考え方も、二軸の中身も同工異曲(どうこういきょく、違っているようで結局同じこと)である。なぜそうなったのか。答えはカンタンである。人の上に立つ者の条件は、シゴトができて情けがあることだ、というのが古今の通り相場である、深遠な学問に研究してもらう前から、結論はわかっていたのだ。