歌に出てくる家は、たいていは思い出の中にある。室生犀星は、たしかにそう詠った。
ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしやうらぶれて 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや
(小景異情)
ふるさとは遠きにありて思ふもの、とした犀星は、故郷金沢を流れる犀川の写真を部屋に貼り、ペンネームも犀川にちなんだものとした(金沢の漢詩人・国府犀東に対して犀西とも称した)。しかし金沢にはほとんど帰ることがなかった。
犀星は私生児として生まれ、13歳で給仕の職に就いた。子どもの頃から「妾の子」だといじめられた。
夏の日の匹婦の腹に生まれけり
犀星が50歳を過ぎて詠んだ句である。私生児として生まれ、私生児として育ったことが、犀星を長く蝕み、ふるさとから足を遠のかせた。
帰れないゆえにふるさとが恋しい。犀星のふるさとはいつまでも遠かった。
柿の木は春に花をつけ、秋に実る。子どもたちは春に目白を追い、秋にとんぼ釣りをした。村は春に馬の市を迎え、秋に村祭りを行った。
日本中、どこにでもあった風景だろう。しかし青木光一がこの歌を歌ったとき、多くの人の目の前に、この風景はなかった。ただただ思い出の中だけに甦る風景だった。
この詞を作った石本美由紀もまた、柿の木坂の家を遠く思うばかりだったろう。
人は死ぬ前に生まれ育った家を思うものだろうか。南北戦争で囚われの身となった南軍兵士は、死刑を前にして美しい夢をみた。
The old home town looks the same as I step down from the train,
and there to meet me is my Mama and Papa.
Down the road I look and there runs Mary hair of gold and lips like cherries.
It's good to touch the green, green grass of home.ふるさとに着いた汽車から降りると
そこにはパパとママが迎えに来てくれている。
髪を輝かせ、サクランボのような唇のメアリーが、
ボクに駆け寄ってくる。
ああ、緑の芝が広がる我が家に帰ってきたのだ。Yes, they'll all come to meet me, arms reaching, smiling sweetly.
It's good to touch the green, green grass of home.
The old house is still standing tho' the paint is cracked and dry,
and there's that old oak tree I used to play on.そしてそこには、ボクがいつも遊んでいた古い樫の木がある。
Then I awake and look around me, at four grey wall surround me
and I realize that I was only dreaming.でもボクは四方を灰色の壁に囲まれている。 ボクはただ夢を見ていただけなのだ。
『思い出のグリーングラス』は死刑囚の歌だったけれども、この歌がこんなに美しく聞こえるのは、歌詞に家のコトバがふんだんに出てくるからに違いない。
*
1600年は英国が7つの海に乗り出した年で、同時に海に乗り出すための造船が盛んになり、国土から多くの樫の木を失い始めた年でもある。その頃から、英国で故郷を恋うる歌が多くなった。
2021/5/5 NozomN
Tweet