書斎から NozomN の書斎から

家事未満

 家事のお手伝いをしている。これまでも少しはやっていたけれど、家にいる時間が長くなって、家事を手伝う時間が増えた。稼ぎが減った分をお手伝いで免じてもらおうという気持ちもある。家事分担というにはおこがましい初心者なので、手伝いと言っておく。

 中年や老年になってから家事を手伝い始めた人ならわかると思うが、家事というのは果てしなき驚愕である。いやはやこれほど多岐多様で膨大な仕事を、よくも家内一人でこなしていたものだ。しかも、多岐多様のあれこれには、大小さまざまなノウハウが張りついている。では私めが代わりにやりましょうとは言えないような、熟練と専門の壁が立ちはだかっているのである。

 イワシの頭や骨はディスポーザーに入れても良いがタイの骨はダメ、というのはカンタンだ。使った食器を何もかも洗い桶に入れてしまうと食器がすべて油でコーティングされてしまうからダメ、はたきでゴミを払ったらしばらく待って、雑巾掛け(ロボットだけど)してから掃除機(これもロボット)をかける、という手順もムツカシクない。洗濯やトイレ掃除やフトン干しも、まあまあできる。

 ところが買物となると、とたんにもたつく。コーヒーやヨーグルトや食パンは買える。豆腐も弁当もタワシも買える。だが野菜と魚がムツカシイねえ。モノの善し悪しがわからない。仕方がないのでトマトを慎重に選んでいる主婦を見つけて、「トマトはどれが良いですかねえ、あ、それからキウリもだけど」などと訊く。するとたいていは驚くほど親切に教えてくれた。しかしこの手も、コロナでダメになった。

 工場の機械の摩耗や不具合をもっとも感知するのはベテラン工員である。音、匂い、見た目で判断する。団塊の世代のリタイヤでこうした工員が現場から姿を消した。ちょうどそのころにリーマンショックなんかが重なったから、工場が請負労働に委ねられ、そうして大手メーカーの工場で次から次に大事故が起こり始めたことがある。

 程度を見分ける、というのはどんな仕事でも熟練のワザである。モノの良さ、出来の良さ、扱いの良さ、持ちの良さなどの程度は、長くそのモノとつき合っていないと見極めがつかないのである。ぼくが野菜や魚を見分けられるようになるにはあと何年かかることか。家事未満、すこし暗澹となる。

2021/4/2 NozomN

   

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