12月26日のNozomNの草稿ノート〈正岡子規(實朝ノート1)〉を読んで、俄然正岡子規さんに興味が湧いてきた。というようなことをNozomNにメールしたら、
正岡子規については、日経新聞朝刊小説の「みちくさ先生」で、ここのところよく登場しています。 夏目漱石(金之助)と同郷で、大変仲が良かったようです。
とのご返事メールが届いた。
Wikipediaによると、正岡子規は、
日清戦争に記者として従軍しその帰路に喀血。療養したのち、松山に帰郷した。
漱石の下宿に同宿して過ごし、俳句会などを開いた。
とある。もしかして二人で道後の温泉に浸かったりもしたのだろうか。
NozomNのメールには、さらにびっくりすることが書かれていた。
「みちくさ先生」に登場する人物たちは、ぼくがよく知る人たちばかりです(本の中だけですが)。
「みちくさ先生」にずっと登場している、漱石の奥さんの鏡子さんの、『漱石の思い出』は面白い本です。
この本は漱石門人で、娘の筆子の婿になった松岡譲の聞き書きによるものです。〜略〜
松岡譲と筆子の娘、松岡末利子(つまり漱石の孫)は、半藤一利と結婚して半藤末利子となり、『漱石の長襦袢』を書いている随筆家です。
半藤一利は昭和史研究家として名を上げていますが、文藝春秋の編集長としても活躍していました。
田中健五から編集長を引き継いだとき、「編集長が代わりました」という広告を出して、とても話題になりました。
同じころぼくも『就職ジャーナル』の編集長になり、2度お会いしてインタビューをしたことがあります。しかしぼくが関心を持ち続けたのは、もうひとりの漱石の孫の(つまり末利子の姉の)、松岡陽子マックレインさんです。
陽子さんは津田塾出で、その後オレゴン大学に入ります。フランス語専攻で、結婚、育児を経てオレゴン大学院に再入学します。
その後オレゴン大学で日本語や近代文学を教え、名誉教授になりました。亡くなったのは10年くらい前です。『孫娘から見た漱石』は末利子さんとは違ってクールな筆致です。
陽子マックレインさんについては、大庭みな子の日記を読んで知りました。
大庭みな子は津田塾の先輩だった陽子さんと、はからずもオレゴンで再会しました。そんなわけで、子規や漱石は、いろいろな脈で引っかかってくる人たちです。
なんとなんと、正岡子規さんから、オレゴンに繋がる道が伸びていたなんて。
知らないことはたくさんあるけれど、知らないって、時にホントにもったいない。
NozomNの草稿ノート〈正岡子規(實朝ノート1)〉で、正岡子規が革新の人だったことを知り、そのような人たちが今の日本の文化を作ってくれたことに思いを馳せる。
国文科卒業のわりに、日本文学よりも海外文学に親しんできてしまったけれど、今年は日本文学にもとっぷりと浸ってみたい。
2021/1/7 MariY