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38 クレジット

貧しきクセ

 会社のカネを使って自分の奢りであるかのように振る舞うのが下品であるように、他人の発言を使って己の見解であるように顕示するのも又、下品下生である。上司から聞いた話を、学者が唱えた説を、新聞の論説を、己が案出と謀(たばか)るなかれ。謀るクセは、白ワイシャツに赤ワインをこぼしたように染みついて取れなくなるから要注意だ。この染みが目立つようになると、顔面に貧相が併発することも悲しく覚えておきたい。

お手柄の所有権

 著作権の侵害は法がこれを罰するが、訓辞、会議、お喋りで他人の発言を己のものとして顕示しても法の手は及ばない。だからこそ、この領域で己を律することが、カチョーの品格を涵養する上で何よりも大事なのである。いま少し念を押せば、他人に連れて行ってもらった店を、たちまちわが愛用の店の如く振る舞うことも同断。他人に引き合わされた人物を、たちまちわが旧知の如く知り合いに紹介することも同断。良い店を探し当てたり良い人物を得たりすることは、それを成した人のお手柄であって、お手柄に接した貴兄姉のお手柄ではないからだ。

お手柄の利用権

 それでは他人が案出した卓抜した見解、他人が探し出した良いお店、他人が温めてきた良い交友を継承することはできないのか。もちろんできる。お手柄を成した人の名を語ればよいだけである。すなわちクレジットを入れることである。お手柄人の名を冠し、名を附すだけで上品カチョーの出来上がりとなる。しかも他人の見解を他人の見解として示して低脳視される心配がないことはご存じの通り。このクレジットの意味は、著作権者あるいは情報提供者のことだが、会計用語では貸し方のことである。貸し方の案出を借りて使う人間が、借りていることを表明して始めて、クレジット本来の意味の信用が成り立つのである。

ノン・クレジット

 世の中には、クレジットを入れずに、平気で使ってもよいものもたくさんある。言葉がそれである。地名、地理の案内がそれである。人口に膾炙(かいしゃ)されたフレーズや格言がそれである。「月日は百代の過客と申しますが…」と語り始めても、大概の人は松尾芭蕉の奥の細道から引用したフレーズだと気づく。よし芭蕉や奥の細道に思い当たらなくとも、まさかアンタが案出したフレーズだとは思われないだろう。このように、オープンソース・ソフトウェアのリナックスよろしく、億万の人たちによって磨き立てられ、共有されてきた案出物に、クレジットは要らないのである。ここからカチョーは二つを学ばねばならぬだろう。一は、クレジットも入れずに使っている先人の案出物に対して、時々はその源に思いを馳せて感謝する事、二は、幾世代にも渡って億万に使わた優れた案出物ほどクレジットが無用であることに思いを致し、他人の案出にクレジットを入れることには己を厳しく律しながらも、己の案出物についてはクレジットを騒ぎ立てない謙虚を忘れぬ事。