誰もが戦略が大好きなのである。ブチョーもカチョーもヒラも、戦術という言葉は滅多に使わない。戦略一本槍である。拙生が社会に出た頃からこの傾向は変わらないから、恐らくは百年此の方(このかた)人気の入れ替えがないのだろう。
しかし縄暖簾(なわのれん、飲み屋のことネ)で斜め後方から、酔声に乗って戦略と聞こえてくるのは、概(おおむ)ね戦術のことではないかなあ。「リベートがダメだぁ?ひとつッ棚のホンの一角をだなぁ、百の会社が狙ってるって言うの、いやっ、百五十かも知れんゾ。現場で汗をかいたことがないヤツはそれもワカランのだ!リベート戦略でなきゃあダメなんだよぉ」――。ここで「戦略」を「戦術」と言っては、自説もその身も小さく見える無意識があるのだろう。これを浅略という。浅略が断じてダジャレではないことは主張しておきたい。これは密教用語で深秘に対義して浅はかなことを言うのである。それにしても先の話の素性から勘ぐれば、小売業に不当表示が蔓延(まんえん)したのは故(ゆえ)なきことではなさそうだ。
だからといって明日から戦略と戦術の使い分けに緊張することはない。戦略は戦術を束ねたものだから、戦術が極小ならばそれを束ねて戦術と言うさえ恥ずかしくとも、誰構うことはない、戦略と言ってしまえばよいだろう。それに英和辞典では戦略も戦術もstrategyを使っている。細かく言えば戦術ではtacticsを使うことが多いし、tacticianよりもstrategistの方が格上のようだけど。戦略情報システム(SSI Strategic Information System)や戦略兵器(Strategic Weapon)など、コトが大きくなればstrategyを使うのが習いだから、戦略の方が格好は良さそうだ。しかし、だ。貴台(きだい)がカチョーの初心ならば、使う言葉は戦術一本に絞ることをお勧(すす)めする。日常の話題では、大概これで用が足りる。万一足りなくても、下手(したて)の発言は奥ゆかしくて株が上がる。さらに下手に出て奥ゆかしさを一層馥郁(ふくいく)とさせるには、戦術を方法とか手段とかに言い換えて涼しくしていることだ。