社内誌編集の根幹は、デザインと発想である。デザインという言葉は広く用いられて曖昧だが、ここでは「デザインとは〈問題解決の表現〉である」としておこう。
デザインと聞いてすぐに思い浮かぶのはグラフィック・デザインだ。この分野の〈問題解決の表現〉としては、「ロンドン地下鉄路線図」が有名だろう。路線図が初めて登場したのは1900年代初頭で、ロンドンの4つの地下鉄が統合したときだ。それが8つになってますます混乱したのだが、最初の路線図はとても分かりにくいものだった。実際の地図がベースだったためだ。
それがトポロジー(位相幾何学=位置の学問)という発想を得て激変した。トポロジーとは「形が変わっても本質が保たれる」ことに焦点を当てた数学の一分野である。たとえば正三角形を描いた風船を膨らませると、直線が曲線になって形が変わってしまうが、正三角形的な性質は変わらない。つまりAという形をBという形に変えても本質が変わらなければA=Bである、と等式化する。
地下鉄路線図では、駅のつながりや交差を本質と考え、駅の位置や駅間の距離にこだわらないようにする。本質だけを考慮することで、自由で分かりやすい表現ができる。とこのように、「ロンドン地下鉄路線図」というデザインは「トポロジー」という発想法を得て誕生した。
「ロンドン地下鉄路線図」は優れたデザインになったことで、細部にも優れたデザインを呼び込んだ。駅や乗換の表示、各線や駅の色使い、路線図に相応しいフォント(文字デザインの一式)などだ。ちなみに専用フォントに採用された「New Johnston」をデザインしたのは、日本のグラフィック・デザイナー河野英一だった。長くロンドンに在住した彼は、Windows標準フォントの「メイリオ」を開発したことでも知られる。
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デザインと発想との関係をもうひとつ紹介しておこう。前回の曼荼羅(マンダラ)は、まず思想のデザインとして考案された。つぎにグラフィック・デザインとして表現された。曼荼羅デザインの場合は「拡大と縮小」の発想法が用いられている。
「拡大と縮小」は単純な発想法だが、ひとつのパラドクス(逆説)を内蔵していて、これがデザインに大きな意味や深みを与えている。たとえばグーグルマップである(アップルのマップでも良いけれど)。地図を拡大(+)するとどんどん詳細になり、同時に視野が狭くなる。地図を縮小するとどんどん広い範囲が見えるようになり、同時に詳細は小さくなり、最後には消えていく。大きくすることが小さくすることであり、小さくすることが大きくすることだというパラドクス。
グーグルマップでは、拡大も縮小も、あるところでストップする。それ以上のデータがないからだ。もしデータをそろえて拡大を続けると、それはもはや地図ではなく、地上の組成物の分子や素粒子に行きつくし、縮小をどこまでも続ければ、これも地図を逸脱して太陽系や銀河系のレベルにまで広がる。
漢数字では一、十、百、千、万、億、兆、京、の単位を使うが、最後は「不可思議」、「無量大数」で終わる。それぞれ10の65乗、10の69乗を表している。逆に最小化に向かう単位は、分、厘、毛、糸、と続き、最後は「阿摩羅」10の−23乗、「涅槃寂静」10の−24乗で終わる。単位の呼称はいずれも仏教に由来するもので、曼荼羅を数字表記したものだと考えて良い。
モノやコトを拡大、縮小すると世界は変わって見える。これをデータ化したものが漢数字の単位で、図としてデザイン化したものが曼荼羅図である。図のデザインの方がわかりやすく、拡大すると小さく、縮小すると大きくなることの寓意まで表現できる。
曼荼羅は「拡大縮小発想」の直接的なデザインだが、そこから生まれる寓意を転化させたデザインもある。たとえば「方丈」である。お寺の住職を「方丈さま」と呼ぶことがあるが、これは「方丈に住んでいるお坊さま」の意味だ。古代インドの富豪で釈迦の弟子となった維摩(ゆいま)居士の居室が一丈四方であったことにちなむ。で、なぜ方丈に住むかというと、極小に住まうことで、極大な世界をつかむ、という考えなのである。
鴨長明が身辺エッセイを『方丈記』と名づけたのも同じ考えだ。天変地異と政変の時代に生きた長明は、この本の中で、コンパクトに畳んで持ち運びできる家(方丈)のデザインを詳細に描き残している。住まいを縮小してポータブルにし、生き方を広げる、という生活デザインなのである。
ロボット手術のグランドデザインも「拡大縮小発想」である。体内の患部を画像拡大することで、相対的に医療器具を縮小し、微細な手術を可能にした。この発想をデザイン化したダヴィンチなどの手術用ロボットは微細化と拡大化技術の集積であり、ロボットのデザインは現在の技術水準が決めることになる。
デザインはあるのに「拡大縮小発想」が遅れをとる、ということも多い。ジュール・ベルヌが『海底2万マイル』で深海探査艇バチスカーフ号をデザインしたのは1870年で、探査挺が実際にできたのは1948年。だが150年経ったいまも、海底2万マイルまでは探査できていない。
アイザック・アシモフの『ミクロの決死圏』(映画のノベライズ)は、医療チームがミクロ化して体内に入り治療するというSFだが、ここで描かれたいくつかは現実化し、相対的なミクロ化は可能になった。しかしゴマ粒以下の小さなロボットが体内を駆け巡ることはおろか、原子力発電装置に入り込んで修理するロボットは今も現れていない。デザインはあるが、開発の発想と技術の進化待ちなのである。
もうひとつ。数学者でSF作家だったE.E.スミスは、人間の特性のひとつである思考だけを取り出して存在させるという発想をした。彼はそれを「思考そのもの」と名づけて『レンズマンシリーズ』に登場させた。レンズマンシリーズはスミスの数学者らしい知見が散りばめられた小説で、初めて聞くような概念でも説得力があって面白い。だが、「思考そのもの」だけは上手く表現できなかった。デザインのない発想は、ほとんど何も伝えないということなのである。
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デザインが大きな力を持つことに目をつけ、さまざまな問題解決に使おうと考えたのがアイデオ(IDEO)である。カリフォルニアで30年前に創業し、アップルのマウス開発など話題のストーリーを世界中に残してきたが、彼らのデザインの基点は「その人になってみる」である。
ビジネスのゴールデン・ルールは「相手の靴を履いて考える」だから、「その人になってみる」はデザインの新しいスタンスだとは思えないだろう。だが言い古されたスタンスも、実行となるとなかなかなのである。
公家政権から武家政権へと変わるあたり、世の中は生活も経済も価値もガタガタになって終末感に覆われていた。このとき専修念仏が広まったのは、法然が従来の仏教を捨てたからである。厳しい修行も、難しい法話も捨て、ただただ南無阿弥陀仏の念仏を唱えれば、死後は誰でも平等に往生できると説いた。彼は経典や思惟に埋もれることをやめ、無知文盲のマーケットに身を置き、彼らの不安や無力に同化した。浄土宗もまた「その人になってみる」ことで生まれたデザインだと言える。
歴史を見るとこのような大きなデザインは宗教に多く見られ、絵、建築、造園などに表現されて残っている。その後継となっているかに見えるのが、アイデオというデザイン会社だが、彼らは問題解決を強く意識した自分たちの流儀を「デザイン思考」と呼ぶ。その流儀には学ぶところが多いので詳しく紹介したいところだが、2005年にポール・ベネットが「デザインは細部に宿る」と題した〈TED Talk 〉を見てもらった方が早いだろう。彼のプレゼンテーションそのものがアイデオなのである。
「その人になってみる」ことの一端をつかめただろうか。あるいは「その人になってみる」ことが「その人になってみない」ことと、どれほどかけ離れたことなのかを感じてもらえただろうか。
「ロンドン地下鉄路線図」も「その人になってみる」ことで生まれた。社内誌の編集も同じである。新人になり、ベテランになり、川上になり、川下になり、管理職になり、経営者になり、遅刻しがちになり、家族になり、業者になり、株主になり、地域の人になってみる。それぞれにある不安、失望、願い、欲求、満足、悩みをその人として受け取る。企画の芽は、だいたいそこにあるものだ。
(ツヅキます)
2021/2/26 NozomN