四月は残酷極まる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に欲情をかきまぜたり
春の雨で鈍重な草根をふるい起すのだ
冬は人を温かくかくまってくれた
地面を雪で忘却の中に被い
ひからびた球根で短い生命を養い。
シュタルンベルガ・ゼー湖の向うから
夏が夕立をつれて急に襲って来た。
僕たちは廻廊で雨宿りをして
日が出てから公園に行って
コーヒーを飲んで一時間ほど話した。
(西脇順三郎訳、『西脇順三郎全集Ⅲ』『荒地』「Ⅰ埋葬」より)
T・Sエリオットが長詩『荒地』を発表したのは1922年のことだから、それからおよそ百年の時が流れた。その間「四月は残酷極まる月だ(April is the cruellest month)」のフレーズは、たびたび人々の胸に甦った。
新型コロナウィルス禍は、世界のそこかしこで感染者と死者の数を広げ、リアルタイムの報道は人々を楽観と悲観の間を行き来させ、四月をじわじわと残酷な色に染め上げてきた。いままた、エリオットの詩句が甦る。
エリオットが『荒地』を構想したのは第一次世界大戦(1914-1918)が契機だったという。第一次世界大戦という世界的な厄災が「死の土地(荒地)」をもたらしたことに詩人は絶望し、復活を願った。
第一次世界大戦を記憶する人は、いまではほとんどいなくなった。記録によれば、動員された軍人は七千万人、犠牲者は一千六百万人、歴史上もっとも多くの死者を出した戦いだった。しかも戦地があれよという間に広がる様は、疫病の世界的拡大に酷似していた。
それほどの大事になるとは、確執を深めていた当事国も含めて、誰も思っていなかっただろう。発端は「サラエボ事件」だった。オーストリア=ハンガリーの帝位継承者を、セルビアのテロリストが暗殺した。セルビアはテロ組織や背後にいた軍の高官を告発して処刑したが、オーストリア=ハンガリーはセルビア王国に最後通牒を発して開戦へと突き進んだ。
各国首長は事態収拾に奔走したが、戦争の連鎖は止まらず、大戦へと急展開していった。それまでに欧州各国は緻密な同盟関係を作り上げていたから、開戦とともにそれらの同盟が一気に発動され、欧州列強のすべてが、この戦いに参戦することになった。さらに世界各国を巻き込み、約五十ヵ国が戦争に加わった。
これらの国は連合国と中央同盟国に分かれて戦った。戦争拡大で同盟関係はさらに広がった。ところで、この戦争を経て、発端となったオーストリア=ハンガリーもセルビアも、国家としての政体が解体、分割された。戦後に革命や政治変革が起こった国もあった。そして敵対した国々の対立は解消せず、経済と社会の疲弊が重なり、二十一年後の第二次世界大戦へとつながった。
エリオットはそうした世界を「荒地」と呼び、終戦の翌年の春に「残酷極まる四月」を見たのだった。この詩を訳した西脇順三郎は、次のような訳注を付けている。
「四月は残酷……ひからびた……」この七行は四月の月の情景であって、チョーサーの『カンタベリ物語』の序曲を連想させる。しかしその月は悩ましい月で、春のめざめで、寧ろ残酷に思わせる月だ。これに反して冬は地中の世界で静かな季節であるとして考えられている。そしてこの節のテーマとしては死と復活の最初の暗示である。
チョーサーの『カンタベリ物語』の序曲を持ち出したのはなぜだろう。物語はたしかに四月の情景から書き起こされている。だが、そこに共通点があるというだけで、なぜエリオットの「荒地」につながると考えたのだろうか。『カンタベリ物語』の出だしはこうだ。
時は四月。夕立ちがやわらかにやってきて、三月ひでりの根本までしみとおってしまう。そのおしめりの精気で花が生まれて咲いてくる。そよ風もまた、香ばしい息を吹いて、どこの山林地にも荒野にも、柔かい新芽が枝にふいてきた。まだ若い太陽も、春分からめぐり出して、白羊宮を半分以上もめぐってきた四月の初旬。ナイチンゲールという小鳥は、夜中もおちおち眠らないで、美しい節回しで鳴いている。それほどまでに、自然の力というものは、小鳥の心でさえも、やるせなく突くものか。こんな季節になると、人々は霊廟の巡礼にあこがれて、遠い諸国の国々へ旅立つのだ。パレスチナの聖地巡礼をする人は、海を越えて、外国へとあこがれる。とくにイギリスでは、どの州のはてからも、カンタベリの巡礼を思いたち、病気をいやしてくだされた、聖トマスの参詣に出かけるのだ。
殉教者聖トマスにお礼参りする巡礼たちが、カンタベリへの道々で、自分たちが知る物語を披露し合うというのがこの『カンタベリ物語』の形である。語るのは二四人。騎士、粉屋、親分、料理人、法律家、バースの女房、托鉢僧、刑事、学僧、貿易商人、騎士の従者、郷士、医者、赦罪状売り、船長、尼寺の長、チョーサー自身、修道院僧、尼寺侍僧、第二の尼、僧の従者、大学賄人、牧師、宿屋の主、という顔ぶれである。
西脇順三郎は、エリオットとチョーサーとが、ともに作品の冒頭を四月の情景で始めたことで、何となくふたつの作品のつながりを連想したのだろうか。そのような単純なことではないだろう。じつは上に引用した『カンタベリ物語』の冒頭も、西脇による翻訳なのである。しかも西脇はただの翻訳者ではない。
『カンタベリ物語』は英文学を成立させた作品であり(それまで書物はラテン語かフランス語で書かれていた)、物語は本歌取りよろしく、さまざまな古典を下敷きにしている。そっくり借用された物語もある。つまり翻訳能力があるというだけでなく、英国や欧州の古典に通じていないと扱えない難物なのだ。だが、西脇は詩人であるとともに当代一の英文学者でもあった。日本の古典に通じ、ノーベル文学賞候補にもなった世界の逸材だった。
『カンタベリ物語』の文学史上の位置づけや意味の話は措くとして、一四世紀に作られたこの物語は、後世の作家たちに大きな影響を与えている。二〇世紀に入ってからだけでも、いくつものオマージュ作品を生んでいる。オマージュとは「芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事」(Wikipedia)だ。
1994年にジャン・レーが『新カンタベリー物語』を著した。レーはホラーの奇才で、チョーサーへのオマージュとともにシェイクスピアも土台にしてこの本を書いた。1989年には、ダン・シモンズがSF小説の『ハイペリオン』でヒューゴー賞を取った。ハイペリオンという聖地への巡礼をテーマにした物語で、構成と筋立てをチョーサーに倣った。
2004年にはリチャード・ドーキンスが『祖先の物語 - ドーキンスの生命史』を発表した。これは完全に『カンタベリー物語』を模した作品で、動物たちが巡礼の途次で祖先を語るという趣向を取った。ドーキンスは「利己的な遺伝子」を唱えたユニークな生物学者で(同名の著作もある)、科学と神の問題なども論じた運動家でもあった。
『カンタベリ物語』が何世紀にもわたってオマージュ作品を生んだのは、「枠物語」という形式にあるという指摘がある。たしかにそうした面はあるだろう。「枠物語」とは、始めに登場人物の簡単な紹介があって、その枠に従ってそれぞれが物語る形式である。ただ「枠物語」はチョーサーの発明ではなく、ボッカッチオの『デカメロン』の方が先だし、もっと遡っては九世紀に原型ができたとされる『千夜一夜物語』(実際には二百八十二夜)がある。
ということは、『カンタベリ物語』の追従には、枠物語だけではない大事な要素があったはずだ。それを「雑多な数」とでも言えば当たっているだろうか。物語に登場するのは二十四人だが、本当は百人程度であったものが散逸してしまったという説もある。いずれにしても「雑多な巡礼者の、雑多な話」の集合が『カンタベリ物語』なのである。
雑多な人間の集合は、大衆、群衆、烏合の衆、愚民、衆愚などと表現されることがある。だが、ジェームズ・スロウィッキーは『みんなの意見は案外正しい』で、「少数の専門家よりも群衆の英知の方が正しい」ことを実証した。ちなみに原書は2004年刊の『The Wisdom of Crowds: Why the Many Are Smarter Than the Few and How Collective Wisdom Shapes Business, Economies, Societies and Nations』で、「群衆の英知」としている。「みんなの意見」という日本版タイトルは、やや誤解を与えるかも知れない。
と言うのも、スロウィッキーは「群衆がすべて賢いわけではなく、意見の多様性、独立性、分散化、集約、という四つの要件を満たしたときに英知が発揮される」と指摘しているからだ。固有の意見を持ち、周りに流されず、専門知識を付着させ、意見をまとめる仕組みを持っていることが「群衆の英知の条件」だというのだ。
たとえば、スロウィッキーが詳述する、スペースシャトル・コロンビア号の大気圏再突入時の空中分解事故。ここでは、NASAの専門組織と専門家が、思いも及ばない誤判断を繰り返すさまを再現する。多くの素人読者は、その誤判断の非常識に唖然とするだろう。
とかく素人は困ったものである。自分たちに違和感がある物事に、すぐに唖然とする。耐熱材がしばしば剥落すると聞けば、なぜそれを修理しないのかと単純に考える。だが飛行計画全体を考えない。予算を考えない。多くの技術者やスタッフたちの多大な労力を考えない。議会の反応を考えない。マスコミの反応を考えない。もちろん耐熱材剥落は仕様の逸脱ではあるが、過去にこれが原因で事故が起こったことはない。素人はそれを知らないのだ。素人考えと無知には困ったものである。
しかしコロンビア号は、耐熱材の剥落が原因で空中分解し、七人の宇宙飛行士が犠牲になった。後の調査では、事故は起こるべくして起こったこと、専門家組織が官僚化していたことが指摘された。このような事例の数々を、スロウィッキーは多様に例示した。
さて『カンタベリ物語』の語り手たちは雑多である。その物語も雑多で、ばらばらである。だが、「固有の意見を持ち、周りに流されず、専門知識を付着させ、意見をまとめる仕組みを持っている」点では、「群衆の英知」の条件をそろえている。物語の内容は世俗的であるから「英知」という感じはしないが、「これが人間の総体かも知れない」という感慨を抱かせる。
『カンタベリ物語』がオマージュとして書き継がれてきたわけは、ここにあるのかも知れない。世界が雑多な人間の集合であることの肯定。異なる身分、異なる出自、異なる信条、異なる人格、異なる知性、異なる生活体験、こうしたばらばらの人間たちが、同じ巡礼の途につき、カンタベリを目指しているあり様。
第一次世界大戦の発端から拡大へのプロセスをみれば、普通の感覚では「おかしい」としか思えない判断やいきさつが、山のようにあることに気づく。だが国を治める専門家集団は(しかも五十ヵ国の)、事態を深く読み、自国や他国や世界の現状を鑑み、彼我の兵力、兵站を計算し、素人では思いつかない、よくよくの決断を下した。そして多大な戦死者と敗戦国を生んだが、真の勝利国は生まなかった。そればかりか独裁政治を生み、第二次世界大戦の下地を作った。
エリオットはそうした「死の土地」に絶望し、わずかにある希望を探った。希望は首長や政治や選ばれた人にではなく、名もなき大衆にあり、名もなき大衆が愚かに流されないことにあると直覚した。『カンタベリ物語』を翻訳した西脇順三郎が、『荒地』を翻訳して「連想した」のは、そういうことだったのではないだろうか。
上空に響くあの音は何だ
母性の哀悼の泣き声
限りなくつづく平野に一杯群がる
あの頭巾を被った群衆は一体何者だ
ただ平坦な地平線に囲まれ
地上の割れめにつまずきながら歩いて行く人々は。
山の向うのあの都は何というところだ。
つぶれてまた立て直りまた紫の空に展開するのは
倒れかかる諸々の塔
エルサレム、アテネ、アレキサンドリア
ウィーン、ロンドン
空虚な
或る女は長い黒髪を張りつめて
それを琴糸にしてささやきの言葉をひいた
菫色の夕空に赤ん坊みたいな顔の蝙蝠が
囀り羽ばたきをし
黒ずむ壁をさかさになって這いさがった。
数々の塔はさかさに吊られ
ミサの時間を告げる
名残りの鐘を鳴らすのだ
ひからびた貯水池や水のつきた井戸から
歌う声がきこえてくる
(西脇順三郎訳、『西脇順三郎全集Ⅲ』『荒地』「Ⅴ雷神の言葉」より)
2020/4/25 NozomN