宮城まり子が亡くなったので、吉行淳之介を読み返そうと思ったのだが、はて、あれはどの本だったのだろう。
同世代の文学仲間がつぎつぎと海外へ行くのに、吉行はまだ行っていなかった。ふだんから招待旅行には乗らないようにしていたらしい。吉行は人が右と言って右を向くような男ではない。相当な天邪鬼である。それが宮城まり子に引きずられるようにして、海外に出たのではなかったか。そしてケンカに明け暮れた旅だったのではなかったか。
そんなことが書かれていたのは、どの作品だったのか。ウィキペディアで吉行の作品一覧を見ても、それらしい作品が見当たらない。『猫背の文学散歩』という対談集は目についた。吉行は対談の名手で洒脱な話しぶりからグサッと深く切り込むのが上手なのだが、この対談はめずらしく真面目で読み応えがあった。
だが「猫背」というのはちょっと切ない。吉行文枝が『淳之介の背中』を書いているのだ。彼女は吉行と一五年間暮らし、吉行が宮城まり子と暮らし始めても離婚しようとしなかった。そして吉行が死ぬまで離婚しなかった。彼女の元で育った娘は、最後には吉行と宮城の家から嫁いだ。吉行の母の吉行あぐりは、息子の葬式を文枝にではなく宮城に任せた。
吉行との離婚を拒否し続けた文枝は、娘から、義母から、周囲の多くから疎まれ、四面楚歌になっていった。だが彼女は猫背であった吉行の背中を抱きしめたことが忘れられない。淳之介の妻であることだけが人生のすべてになり、孤立した。皮肉なことに、最後まで彼女に優しかったのは吉行だけだった。このことは宮城まり子とのけんかの火種だった。
グーグルで、吉行淳之介、M、感情、の三文字を入れてみた。検索トップに「吉行淳之介 『湿った空乾いた空』 新潮文庫」がヒットした。そうだ、吉行はラスベガスに行き、空気が乾いていることで急に体調が良くなったのだった。日本では大きめの木綿のパンツを穿いて布が弱い肌に当たらないようにしていたのに、ここではピッタリしたブリーフを穿いても何でもなかったことに喜んでいたのだった。吉行のエッセイは、喘息とか湿疹とか、その他さまざまな不調が土台になっていたから、タイトルにある「乾いた空」というのは、旅の空で得た僥倖であったのだ。
グーグルでの検索に「M」と入れたのは、吉行が宮城まり子をMと書いていたからだ。そのことで大げんかになったことも読んだ記憶がある。そうだった、だんだん思い出してきた。吉行は宮城まり子との旅行を始めて、しかし一緒にいるのが気重なのだった。宮城まり子と人生を始めて、しかし連れ添って生きていくのが気重なのだった。女を人一倍求めて、女から遠ざかりたい男だった。
キンドルで『湿った空乾いた空』を購入した。すると最初の行に、いきなりあった。
この作品の傍題を、「私の外国感情旅行」とするつもりである。
ボクはこのことばに引きずられていたのだ。「感情旅行」の四文字がないかと、本のリストやエッセイのタイトルを漁っていたのである。しかしこの作品には「私の外国感情旅行」などという傍題はなく、反故にされた証文のような、この一行があるだけだった。
私は、家庭を捨てる気持はなかった。そのことは、M・Mにも、繰返し強く言って置いた。しかし、その家庭自体はきわめて危険な状態になっていた。私は慣性型体質とでも名付けたらいいだろうか、その体質が心構えに擦り替り、一つの場所から動かないことが信念のようになってしまう。億劫、という言葉では足りないくらい、動きたくなくなるところもある。/そういう私を、Mは家庭から引摺り出した。おそらく、強い力さえ働けば、私は結局は引摺り出されることになったであろう。そして、私はMに外国へ引摺り出されることにもなったのである。
外国に引きずり出された吉行は、行く先々でもあまり動きたくない。精力的に出かけるのは、ラスベガスやモナコの賭博場だけである。Mが誘うところには出かけない。一方のMは吉行が誘えばすぐに乗ってくる。誘われなければ朝から方々を見て歩き回る。歩調がまるで合わないのである。
三十五年に私は家庭を捨て、以来この女と一緒に暮している。この女は、女性という種族の特徴(可憐さ、やさしさ、馬鹿、嫉妬心、吝嗇、勘の良さ、逞しさ、非論理性、塩をつくこと⦅新潮文庫の原文ママ⦆)、すべての発想が自分を中心にして出てくること、などなど)を、すべて極端なまでに備えていた。
宮城まり子は「女性という種族の特徴をすべて極端なまでに備えていた」だけではない。女優であり、場の支配者でもあった。本書の中に、こんな話がある。宮城はニューヨークで吉行をハーレムに誘うが、吉行は外に出るのを億劫がる。「前にニューヨークに来たときのなじみのゴーゴークラブがあるのよ」と彼女は言う。「どうなじみなんだ」と吉行。宮城の話はこうだ。
ハーレムのゴーゴー・クラブには、一五〇人ほどの黒人がいて、黒人特有の臭気と煙草のけむりと安酒のにおいが詰まっていた。一段高いところに四角い踊り場があり、踊っている黒人に上がってこいと誘われる。宮城が上がって行くと拍手が起こる。一曲が終わり、次の曲が始まると、宮城は手拍子を鳴らして即興のリズムを取り始めた。相手の黒人がそれにならい、周りの黒人も同じように手拍子を取り始めた。彼女は突然「ストップ!」と叫ぶ。みな凍り付いたように動かなくなる。また手拍子を始め、またストップ。楽団もそれに合わせ始め、クラブは彼女が支配する場と化す。
舞台のプロフェッショナルというのは、素人とはまるで違う。とあらためて私は感心しながら、/「踊る宗教の教祖になれるな」/黒人たちの振舞いは集団催眠の徴候を感じさせた。
話として聞いているあいだは、スリルと爽快感があるが、その場に立会う気持には到底なれない。/Mが旺盛な行動力を示すたびに、私はどうにもならない億劫さを感じるようになってしまっている。/ハーレムに入ってゆくには、まず決意が必要だ。恐怖もあり、面倒くささもある。もっと、気儘な気楽な旅をつづけたい。
さて、ふたりの旅はフランスで終わる。その最後の夜にも、明け方までの大げんか。
『いまにみてろ、腹が立たなくなったら、もうおしまいだぞ』/罵り合いながら、ひそかに考えるのだが、腹の底が煮える。おもわず大きな声が出て、ホテルの壁の厚さが気にかかってくる。/こうやって一緒に外国旅行ができる立場になったんだから、もういいじゃないか、というのが私の考え方である。Mには、ここまでになったんだから、もっと……、という反対の気分がある。/喧嘩の内容は、籍についてのことだったような朧げな記憶がある。
その翌日に、宮城は一人で日本に帰り、吉行は一週間残ることになっている。
「約束どおり、あたしは明日出発するわ」/鰺の干ものの弁当をもって千葉県へ出かける馬鹿はない、というジョークがある。日本を出発するとき、私はその話をMにして、パリに一人で一週間残る、と言っておいた。/「娼婦の小説をいろいろ書いているのに、パリにきてそのまま帰ってはいけないわ」/「うん」/「そのためにとおもって、千フラン残しておいたから、あげるわ」
吉行はこの「あげるわ」という言い方が気に食わない。だが言い争いに飽きて何も言わず、空港まで宮城を送っていく。その後の一週間、彼は娼婦たちと交渉し、付き合い、疲れ、ふと入った印象派の美術館で色彩の氾濫に襲われ、汗を流す。絵から逃れ、立ちすくみ、街路にうずくまったのだった。
2020/3/29 NozomN