nozomnの快適・カチョー生活辞典NozomNの 快適・カチョー生活辞典

61 接待

接待の本義

 饗応のように食を伴うものも、ゴルフのように食は伴うかも知れないがそれが肝心ではない持て成しも、総じて接待という。では、接待の本義とは、どこにあるのか。営業の利得か、利権の獲得か、役得の強奪か、儀礼の提示か。いずれもあろうが本義は別にある。接待の本義とは、円滑なのである。

遊びとグリス

 組織をバックにした仕事は公の活動であって、私が入り込むべきではない。私が入り込んでも良いのだが、それによって引き起こされる問題をクリアできるほどの知恵が開発されていないから、私は入り込まない方が良いのである。客先、取引先とも然りである。しかしそのようにキッチリと公に徹するだけでは、交渉においてギスギスして、相互に擦過傷ができやすい。こうした相互に間隙の遊びを作り、グリスを注入、相互を円滑に接触させる仕掛けが、接待なのである。

仕事の話をしたって構わない

 したがって、接待では仕事の話をしてはならない、と教えるのは浅慮である。公の場では言えぬお互いの苦労話などは、共感しあえさえすれば、格好のグリスである。趣味にまつわる話だって、一方に興が沸き上がらなければ、せっかく作った隙間に入り込んだ砂粒に過ぎない。

接待に臨む姿勢

 そんなことよりも大事なことは、接待を一大事業として本気で取り組むことである。茶の湯における主人が如くにである。客を迎えての茶事はほんのひとときのことだが、このひとときを全きものにするために百倍の時間を使って準備をする。全きひとときとはどんなものか。まずそのグランドデザインを描き、その時間と空間に流れるプログラムを案出する。そして準備の品々、事々、手配に駆け回る。

接待とは駆け回ることこそである

 高浜虚子は〈接待の寺賑わしや松の奥〉と詠んだが、実際に寺にあって、接待の心得を身につけたのは水上勉である。水上は福井県の大工の家に生まれ、九歳の時に、京都の瑞春院に小僧として修行に出された。この禅宗の寺での厳しい修行に耐えられず寺を逃げた。連れ戻されて等持院に移り、またそこを出る。その頃のこと、大事なお客がきたとき、水上は食事の用意の下働きをさせられた。畑にできの良い野菜を探し、せっせと水で洗い、鍋を用意し、急いで火を熾す。そうして水上は馳走の意味を覚える。馳走とは忙しく走り回ることであると。(『土を喰う日々』)

接待の教科書

 ちなみに、虚子の句の季語は、接待である。寺廻りの人たちに、門前で湯や茶を振る舞うことを接待というが、これを行うのが陰暦の7月(今の8月頃)。だから秋の季語。寺社や吉良の接待様式はさまざまに形式化されただけあって、接待の心得においても、接待術、接待プランにおいても、際だったものがある。カチョーは歴史書から、こうしたことも学んでおきたい。

器量

 寺社や公家に対して、武家の一般的な接待は、酒と肴である。肴とは、酒に添えて食べるものでもあるが、同時に酒に添える座興を言う。武士が「肴仕る」と言えば、たいていは詩吟や謡曲、踊りだった。面白い話も、肴の一つだったろう。カチョーの接待に近いのは、こちらかも知れない。しかし接待における肴は、滅多な者にはできなかった。どのような円滑作用をもたらそうとも、そのグリスには品格と大度が求められたのである。接待とは、持て成すカチョーの器量をそのまま映す鏡だと言えようか。