カチョーのオクリナはブチョーである、あるいは、カチョーのイミナはブチョーである、と読む。諡は謚とも書く。やさしく書けば贈り名。生前の徳やおこないを称えて死者に贈る称号である。戒名とも言う。「戒名は真砂女でよろし紫木蓮(しもくれん) 真砂女」
一流のカチョーはブチョーの頭で考えを巡らし、カチョーの分を越えず行う、の意。半分以上ブチョーであるカチョーが、一人前のカチョーなのである。であるからして、「ブチョーの諡(おくりな)はセンム」であり、「センムの諡はシャチョー」なのである。しからばシャチョーの諡とは何であるか。カイチョーあるいはカブヌシなどというノーセンスの答でも叱られぬが、できれば「お客さまである」と言い切ってニンマリとしたい。
この見出し語は、元明治大学学長、産業心理学の故山田雄一先生から承った。山田先生は東大時代に、宮城音弥東京工業大教授の精神分析学の講義を聞き、「人間存在そのものに迫る学問だ」と感動し、卒業後は人事院事務官を振り出しに、富士製鉄、茨城大、明治大を渡り歩いて産官学を体現した産業学術の巨人。私事ながら山田先生は拙生が駆け出し編集者として最初に担当した筆者でもある。