草稿ノート草稿ノート

ゴーンとパーカー

 カルロス・ゴーンの逃亡劇を読んで、かすかな既視感があった。どの部分にそんな感覚を覚えたのだろうか。昨夜、あ、これだったかなと目当てがついた。探してみたら、やはりあった。リチャード・スタークの『悪党パーカー/地獄の分け前』に出てくる盗みの手口だった(小鷹信光訳、ハヤカワ文庫、原題はFLASHFIRE)。

 『悪党パーカー』シリーズは24作あり、『地獄の分け前』は19作目、映画にもなった。あらすじはこんな具合だ。

悪党パーカー

 3人の強盗プロフェッショナルがパーカーを誘ってひと仕事をするが、3人にとって、そこで得た金は次の大仕事への資金のつもり。3人は次の仕事に金を回し、強奪計画に加わるようにパーカーを説得する。パーム・ビーチ(南フロリダの富裕層の別荘地)で2ヶ月後に総額1,200万ドルの宝石を盗むというのだ。パーカーは参加を断わり、金を巻き上げられる。3人はパーカーの金は利息付きで返すと言い、去っていった。

 パーカーは筋を通す強盗のプロである。成り行きを待たない。3人が強奪した宝石を強奪しようと、準備にかかる。強奪まで2ヶ月間あまり。

まず最初に必要なのはもっと性能のいい銃器だ。現金も衣類も必要だ。ましなスーツケースとクルマも。外見を変えねばならない。これから殺しに行く三人の男のためでなく、パーム・ビーチ警察のためだ。

パーカーは〈ア・ベッタ・ディーラー銃砲点〉という店を選んだ。ハイウェイ管理事務所のガレージの警備は銃砲店ほど厳重ではなかった。……暗闇を進んで、四フィート巾のシャベルを備えた低地掘削用の黄色いキャタピラ−を見つけた。……銃砲店に着いたとき、上りも下りも道路にはヘッドライトは見えなかった。パーカーはためらわずに幅広のシャベルの顎を前方にのばしておろし、拳銃を陳列している窓に直進した。

 その6日後にはナッシュビルの町で小切手交換の店を襲う。4日間監視を続けて得た金は3万7千ドル。次にメンフィスに向かい、朽ちかけたホテルで9日間を過ごす。安ワインのボトルを尻ポケットから覗かせ、ぶらぶらと町中で過ごす。麻薬の売人の受け渡しシステムをつきとめ、麻薬業者のオフィスに押し入る。ふたつの強奪で金は12万ドルに。

 パーカーが小切手交換所や麻薬業者にネライをつけたのは、この作品が書かれたのが2000年ごろで、キャッシュレスが当たり前になり、現金を盗むことが難しくなっていたためだ。それはまた、現金を保有し、現金のまま使うことも難しくしていた。そこでパーカーは、パサディナという工業地区で、イグナシアス名義で郵便局の私書箱を借りる。そのあとヒューストンに行き、黒いスーツと聖職者用の襟を買い、銀行巡りを始める。「私たちの教会は募金活動を始めました。どうしても屋根を直さねばなりません」と言い、募金活動は順調だと述べ、この活動のための臨時の口座を開設する。「ここに四千二百ドルほどあります。現金でよろしいでしょうか。寄付金はすべて現金なので」と言って許諾を得る。5,000ドル以上の現金は、連邦政府に届ける必要があるのだ。

 こんな具合に9つの銀行で口座を開き、その後定期的に銀行に足を運び、それぞれに5,000ドル未満の現金を入金していく。その間、郵便局の私書箱をもう一つ別名義で借り、さらにヒューストンの銀行とつながりのない新しい銀行で、イグナシアス名義の小切手で、ウィリス名義の小切手口座と預金口座に数千ドルを入金する。住所は新しい私書箱を申告した。

 さらに映画館で7万8千ドルを手に入れ、偽造屋から身分証明書を取得し、ダニエル・パーミットという新たな名を得、サウス・パードレイ島に向かう。船遊びが好きな金持ちが別荘や屋敷を構えるが、建物の半数には人気がない。パーカーはここで1時間半に9軒の家に侵入し、現金だけを探す。獲物は12万ドル。

 ダニエル・パーミットになったパーカーはサンアントニオで銀行口座を開き、口座を開いていた銀行から金を移し、住所変更手続きも終える。そして石油事業の経歴を持つテキサス人の富豪になりすます。リースした黄色いジャガーを3日間運転して、マイアミに着く。

 強奪者たちから強奪する。その準備がいかにも周到で、ここまででも十分に面白い。リチャード・スタークの文章にはまったくムダがなく、その分、準備や行動や状況の記述が詳細で具体的だ。そのままマニュアルにしても通じるくらいである。で、いよいよ自分の金を取り戻しにパーム・ビーチに乗り込む場面からが本編になる。

 そこを要約すると味がなくなるので割愛するが、ひとつだけ取り上げておきたいのは、強奪者たち3人が不可能に近い状況で宝石を盗み出す手口に、ミュージシャンたちのアンプを使ったということだ。カルロス・ゴーンの使い方とは違うのだが、アンプの使い方も、アンプを活用する窃盗プロセス全体も巧みだ。

 この盗みは成功するが、最後にパーカーはこれを手に入れたのだろうか。もうひとつの物語、さらにもうひとつの物語が重なり合い、思わぬ展開をするのだが、それは読んでのお楽しみに。

 ところでゴーンの逃亡劇については、ウォール・ストリート・ジャーナルが、『カルロス・ゴーン大逃亡劇の内幕』として詳細な再現を試みている。昨年7月末までに、国籍も多様な10~15人で構成されるセキュリティー・チームが本格的に計画を立て始めていたという。チームはさまざまに分けられて、個別に動き、相互の任務を知らない状態だったいうから小説もどきだ。

 このチームにマイケル・テイラーがいたことがわかっている。元米陸軍特殊部隊(グリーンベレー)の隊員で、米国務省や連邦捜査局(FBI)と協力して人質を救出した実績を持つそうだ。アラビア語が堪能で、レバノンと深いつながりを持つ。1980年代に特殊部隊の隊員としてレバノンに派遣されている。

 ニューヨーク・タイムズは2009年、アフガニスタンでタリバンの捕虜になっていたデービッド・ロード記者を救出してもらうため、テイラーがかつて経営していた企業と契約したという。かなりの大物なのだ。テイラーはその後、連邦政府による入札談合の捜査にからんで2件の罪を認め、刑務所で服役していた。そのテイラーが登板してきたと言うのだ。

 ウォール・ストリート・ジャーナル(1月8日日本語版配信)の記事は詳細を極めており、これは日本のマスメディアやジャーナリストたちの遠く及ぶところではない。こうしたダイナミックな取材活動は、ジャーナリストのアスリート化と言えるかも知れない。

 それにしても悪党パーカーは自ら立案し、その実現に忙しく動く。勤勉と言ってもよいくらいだ。カルロス・ゴーンもとても忙しいことだっただろう。

2020/1/13 NozomN